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マグナ・カルタからアオギリまで

  ――世界史のなかの大学生協――

 

庄司 興吉

 イギリスはヨークのセントジョン・カレッジにアオギリを贈呈するため、成田からロンドンとマンチェスターを経由していった。途中、生活協同組合の発祥の地といわれるロッジデールにも寄った。道中をつうじて、同行していた学生のA君が私にいろいろなことを思い起こさせてくれた。

 第一。ロンドンの街中を散歩していたとき、A君がこの前イギリスにきたのはいつだったかと聞くので、私は、1996年ケンブリッジ、ウォーリック、オックスフォードの3大学を訪ねたときで、そういえばそのときウォーリックの近くで、シェークスピアの生誕地を訪ね、その近くの教会に保存されているマグナ・カルタを見た、と答えた。マグナ・カルタ――これは、1215年、当時の暴君ジョン王にたいして、貴族たちが自分たちの身体と意思とを尊重し、勝手なことをせぬよう認めさせた証文である。認めさせた主体は貴族であったが、かれらの背後には台頭し始めていた市民たちがおり、その意味でこの証文は広く人びとの人権を為政者に尊重させる文書の嚆矢となったのであった。

 第二。そのあとビッグベン(イギリス議会)の近くに行ったとき、私はまたA君のおかげで、そのそばにオリヴァー・クロムウェルの像があることを思い出し、そこでタクシーを止めてもらった。オリヴァー・クロムウェル――これは、17世紀の中葉、イギリスを席巻したピゥーリタン革命の偉大な指導者であり、暴虐な王と妥協しそうになる右派を押さえて左の方向に革命を進め、国王を処刑して一時はイギリスを共和政にすらして、かれの死後、王制に復帰したこの国の再度の革命を流血なしにすませる前提を作った人物である。このいわゆる名誉革命以後、イギリスは立憲君主制のもとで、世界で初めて、政党による内閣の交代をくり返す恒常的な議会政治へのルートを開いたのである。

 第三。そのあとマンチェスターからヨークへと列車で行く途中、同行のT先生が車窓に広がる田園にときどき見える柵について、それらがエンクロージャーの痕跡であることをA君と私に教えてくれた。エンクロージャー――これは16世紀と、17世紀から18世紀にかけてと2回にわたって行われた農地の囲い込みだが、最初のものがトーマス・モアに『ユートピア』のなかで「羊が人間を食んでいる」と言わしめたものであるのにたいして、あとのものは、それよりももっと大規模で、いわば農地から農民を追い出して労働者を大量生産するために行われ、イギリス産業革命の基礎を作ったものである。この産業革命をつうじてイギリスは世界の工場となり、地表の全域に資本主義を広めることになったのだ。

 第四。その少し前マンチェスターで生協の建物の集まっている地域に行ったとき、A君が、デパートの前にあるロバート・オーエンの像に私の注意を向けてくれた。ロバート・オーエン――これは、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』のなかで言及したユートピア(空想的)社会主義者の1人であり、産業革命をつうじて資本主義のあらゆる矛盾を露呈するようになったイギリスで、それらを克服する方法を真剣に考え、さまざまな実験を試みた人物である。ロッジデールの記念館もそのように展示していたが、こうした人物によってこそ、生協のような、こんにち世界中に広まっている組織と運動の原型も作られたのである。

 第五。これよりずっと先、イギリスからアメリカに渡ったピューリタンの人びとがそこに植民地の基礎を築いたが、この植民地が拡大したあげくやがて独立してアメリカ合州国となり、19世紀の半ばには黒船で日本にやってきて鎖国の夢を破ることになった。そういえば合州国の成立よりも先、イギリスがオランダの植民地であった東海岸のニューアムステルダムを奪ってニューヨークと改名したのだが、このことも、今回の訪問先がヨークだったことに鑑みて興味深い。これらもすべてA君が思い出させてくれたことである。

 第六。黒船のあと1世紀もしないうちに、日本はアメリカと愚かにも戦争することになり、3年余の戦いののち本土を爆撃され、絶大な犠牲を出したあげく沖縄も占領されたにもかかわらず、それでもなお狂気の沙汰の本土決戦を強行しようとして、広島と長崎に原爆を投下される結果となった。私には、実際の戦闘能力を事実上なくしていた日本に、おそらくは人種的偏見を背景にした実験の意味を込めて原爆を投下した当時のアメリカ政府も許せないが、アジアの隣国をさんざん蹂躙したあげく、敗色歴然にもかかわらず無意味に粘りつづけて、戦闘員のみならず非戦闘員をふくむ多数の日本人の、累々たる屍の山を築いた当時の日本政府も許せない。

 こうしたなか、十数万もの犠牲者を出した広島の爆心地近くで1本の桐の木が生き残り、奇跡的にも青い芽を吹いて、こんにちのアオギリのもととなった。そのアオギリを寄贈しに、私たちはヨークのセントジョン・カレッジにいる――贈呈式の舞台となったカレッジの教会で、神妙な顔のA君を見ながら、私はふとそんなことを考えた。言ってみれば、こうしてマグナ・カルタからアオギリを結ぶ8世紀に近いタイムスパンのうえに、こんにちの日本の大学生協があるのである。戦後日本の平和と民主主義を体現してきたこの組織と運動の未来は、だから、A君のような若者たちの双肩にかかっているといっても過言ではないのだ。


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