自著を語る:『地球社会と市民連携』(1999)

 

庄司  興吉(2000年5月) 

 

 なんとか第2千年期の終わりに出すことができた本である。私が人類の生きる最大の社会について考え始めたのは1980年代の前半からであるが、そのころからいろいろな機会に書いたものが下地になっている。

 人類が生きる最大の社会を私は最初「世界社会」と呼び、「地球社会」という呼び方については、それが体制の違いや文化の多様性ばかりでなく、先進諸国と途上諸国との事情の違いを無視して「成長の限界」などを主張しがちなことから、無造作な使用を警戒していた。しかし、80年代から90年代にかけて、地球環境の悪化が急速に進んだだけでなく、米ソ冷戦の終結やソ連・東欧社会主義の崩壊などが起こったため、地球社会のあり方を積極的に問題にする必要があると考えて、使用に踏み切った。

 この間私はまた、学生の頃からずっと使用に慎重であった「市民」という概念を、あらためて積極的に使用する必要があるとも思うようになった。かつての「市民主義」の市民概念にはどこか甘さがあると考えていたのだが、長い検討の結果、11〜2世紀の西ヨーロッパに登場した都市の住民、すなわち市民たちの自治の原理が、欧米から世界に広まってきたのがこの千年期の歴史の要諦といえるのではないか、と思うようになったからである。

 市民とは、だから、自分たちの生きる社会のあり方、行き方を自分たちで考え、決めていく人間のことである。「グローバル化」という名の地球社会化が急速に進んできたなかで、そのなかに生きる多くの自覚的な人びとが、その市民として、すなわち地球市民として、「連携」しながらこの社会のあり方、行き方を考え、決めていこうとする動きが進んでいる。この本には、こういう動きのなかで、市民の一人として社会学のあり方を根底から考え直していこうとする、ある社会学徒の努力の成果が詰め込まれている。